◆ピクゥエ☆塩島敏彦の世界
ピクゥエ:塩島敏彦の世界
当社のHPでもたびたび紹介させて頂いている現代の名匠である
塩島敏彦氏の作品を改めて紹介させて頂きます。
100年以上も前にヨーロッパで途絶えた技法『ピクゥエ』、
16世紀メソポタミアで考案されたガラス工芸で美しい色彩を放つ『パートドベール』、
その作品群の多さだけでなく商品の素晴らしさ、塩島氏の人柄も含め塩島氏のファンは多い。
60才を超えてなお新作を作り続けるその情熱に感動を覚え出会うたびに頭が下がる思いです。
塩島敏彦
1954年、山梨県甲府市に生まれる。
父は日本で唯一の象嵌作家である塩島東峰。幼い頃より、父の象嵌制作を近くで見る中、様々な技術に触れる。
中学、高校と地元で育ち、1973年玉川大学農学部に入学。
大学3年の時に、カリフォルニアに派遣留学生として渡米。ある暑い夏の日に、取り残したオレンジを食べた時、「何でこんなに複雑で美味しいものができるのだろう?」という思いから、自然がモノを作るプロセスに感動。モノづくりの道への関心を高める。
帰国後、父の元で修行を始め、象嵌技術を修得。
1983年、ある日見たアンティークジュエリーの文献で幻の宝飾品ピクウェに出会う。
その中で誰にも再現出来ない幻の技法であることを知り、自分が受け継ぐ特殊象嵌の技法を使っているのではないかと推測。すぐさま単身で現物を手に入れるためにイギリスに渡る。
ロンドンのアンティークマーケットでは数多くの書籍とアンティークのピクウェを買い込み、製品を徹底的に解体することでその技術を研究。
その技術に、特殊象嵌が用いられている事がわかり、3年の歳月を経て技法を確立する。
後に、宝飾史家である山口遼氏曰く、「私の知る限り、ピクゥエを復元しようという試みは世界中で全くない」との言葉にあるように、世界で唯一の「pique(ピクゥエ)作家」となる。
1988年には日本象牙工芸展において東京都知事賞を受賞。