茨城県桜川市・筑西市の宝石店「ジュエリーマーノ」

◆KARAFURU

KARAFURUの誕生まで 桜川市ジュエリーマーノ

KARAFURUがどのようにまれたのか?その誕生の秘密をインタビュー記事からうかがい知れることができます。
KARAFURU代表黒田幸が人道支援団体のCAREインターナショナルのインタビューに答えた記事を紹介します。

モノ系情報誌を扱う出版社で編集者として活躍した後、単身イタリアへ。
帰国後、映画・歌舞伎の興行関連会社に入社。歌舞伎を通して日本の伝統を継承する職人と出会い、技術の素晴らしさと、それが存続の危機にあることを知る。
日本の伝統的な職人技をファッションの中で提案し、日本人として誇れるものを作りたいと「KARAFURU」を立ち上げる。
"日本の伝統文化から着想を得たモノづくり・ブランドづくりを追究する 。
「古き良き日本の文化と技を結んで、手に取るひとの気持ちを晴れやかに」することを目指し、日本文化の豊かな色彩から着想を得た商品を展開しているブランド「KARAFURU」の代表を務める黒田さん。その経歴は意外なものでした。


PKOからジェンダー平等へ
PKOに関心を抱き進学した先は、男子が大多数を占める全寮制の大学。(防衛大学)
マイノリティの女子として、圧倒的多数を占める男子への気配りを常に考え、多様性やジェンダーの平等について考えていたといいます。
「ジェンダーの平等」といえば、現在、CAREが行っている外務省NGO研究会「ジェンダーとNGO」事業。この事業を説明する中で、ジェンダー平等への効果的なアプローチにつき問われた武田事務局長は、男性の巻き込みの重要性について紹介しました。

例えば、CAREがアフリカで行ったジェンダーに関する事業では、村のリーダーである男性にアプローチし、理解を得て、リーダーから村人に伝えてもらうことによって、村人の意識を変え、時間的にも早い効果が得られるのだと。そして、そのような変革の担い手になってくれる男性を援助機関では、「agents of change」と呼んでいるのだと。

男性社会を抜け出しものづくりの世界へ
男性社会を抜け出し、黒田さんが就職した先は、モノ系雑誌を扱う出版社。編集者としていろいろなものに触れる中で、その背景にある人や歴史に興味を持つようになります。そして、イタリアでの取材をとおし、日本文化の良さを意識し始めるようになるとともに、イタリアの小さなブランドが世界に向けた情報発信をうまくやっていることに気づかされたといいます。

出版社を退職し、イタリアに2年滞在した後に入った興行関連会社で、歌舞伎と出会います。初めて歌舞伎を見た時、衣裳や道具の斬新な配色、オリジナリティ溢れるデザイン、細やかなつくりに強い衝撃を受けたといいます。

その経験をきっかけに、歌舞伎を含め様々な伝統工芸に携わる職人さんや素材、道具について調べていくと、想像していた以上にものや技術の継承が難しい状況であることが明らかになったそうです。そして、日本の伝統的なものや技術がなくなりつつあることを目の当たりにし、ファッションという切り口で、伝統工芸の技術と今の生活を結びつけることができるのではと「KARAFURU」を立ち上げます。

古き良きものと現代の私たちをつなぐ
蒔絵を例にあげると、30代~40代の独身女性の職人の多くは二束のわらじを履いていましたが、世の中のニーズにあったものを作り出すことによって、蒔絵の仕事一本で生計をたてられるようになりつつあるといいます。日本の職人さんたちは、そのようなものを作る高い技術をもっており、黒田さんがビジネスコンサルタントのような形でかかわっていく中で、日本の「伝統工芸と現在の私たちの生活を結ぶ商品」を作り出し、イタリアの小さなブランドが世界に向けて発信しているように、「KARAFURU」も日本の古き良きものづくりの文化と技術と今の私たちの生活をつなぐ役割を担っています。

「長い年月をかけて継承されてきたものや技術は、日本の宝物です」と黒田さんはいいます。エシカルファッションといえば、フェアトレードやオーガニック素材を使用しているのかどうかという点に関心が集まっていますが、伝統技術の継承もとても重要な課題の一つと考えさせられました。

以上CAREの女性企業家×CARE事務局長武田勝彦リレー対談より

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