茨城県桜川市・筑西市の宝石店「ジュエリーマーノ」
幻の技法ピクゥエ

幻の技法ピクゥエ

100年前に製造技法が途絶えて以降、アンティークジュエリーの世界では再現不能な技法と呼ばれてきました。その幻の技法を、塩島俊彦氏が現代に再現した作品です。マーノでは1990年代初頭より長い時間、塩島氏と良い関係を築いております。

Pique(ピクウェ)とは

Pique(ピクウェ)とは、基本的には、ベッコウ、象牙、真珠母貝などの有機素材の表面に、金、銀、まれには真珠貝などから作られたデザイン模様を、一種の象眼状に連続して押し込み、その連鎖模様を楽しむ技法を言います。Piqueという言葉はフランス語で生まれ、イギリスに渡りその後廃れましたが、そのピクウェの技術を世に復元したのが塩島敏彦氏です。

Pique(ピクウェ)とは、基本的には、ベッコウ、象牙、真珠母貝などの有機素材の表面に、金、銀、まれには真珠貝などから作られたデザイン模様を、一種の象眼状に連続して押し込み、その連鎖模様を楽しむ技法を言います。

Piqueという言葉は、フランス語のPiquerから出た言葉で、これは突き刺すとか、ピンで留めるという意味を持ちます。 ピクウェという工法の技法は、ルイ14世の頃のフランスで生まれた技法で、もともとはベッコウで作られた家具やトレイなどの実用具の飾りとして登場しました。その技術を持っていたのは、フランスに住む新教徒であったカルヴィン派の人たちでした。ところが、1685年、ルイ14世治下のフランスで、新教徒の信教の自由を認めていたナントの条例が廃止され、新教徒への迫害が始まります。これを嫌った多くの新教徒は、フランスからオランダ、英国などへ一斉に移住を始めます。これによって、フランスだけで使われていたピクエの技術は、オランダ、英国へと移転します。

ピクウェの技術は、英国に渡ってから19世紀半ばまでは、トレイ、小箱、化粧道具入れ、ステッキの握り手などの実用具の装飾に多く使われ、純粋の装飾具のデザインとして登場するのは、1850年代のことです。その後、1890年頃まで、英国のジュエリー産業の本拠であるバーミンガムで機械化による量産が行われるようになり、多くの安価なジュエリーが作られました。しかし、その機械化がどのような方法であったかは、不明なのです。19世紀末にはほとんど作られなくなり、その技術も忘れられました。

その製造方法については、金属を焼いてそのまま押し込む、象眼のように彫りを入れておいて叩きこむ、裏面の鋲などでとめるなど、いろいろな説がありますが、実際のところ、どのように作られたのかは、今でも不明のままで、書かれた資料もまったくないのです。一種の秘伝のような形で個人的に伝えられたのでしょう。

19世紀末にかけてピクウェの製造も、ピクウェに対しての関心も、完全に下火となり、英国でもその頃にピクエウェは作られていません。技術としても消え失せ、わずかにアンティークの世界でのみ、19世紀の作品が取引されていました。

そのピクウェの技術を世に復元したのが塩島敏彦なのです。 宝飾史家の山口遼氏曰く、「私の知る限り、ピクウェを復元しようという試みは世界中で全くない」との言葉にあるように、現在は世界で唯一の「pique(ピクウェ)作家」です。

東峰HPよりhttp://www.toho-pique.com/

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